明治政府がグレゴリオ暦を導入した理由がちょっと酷い

今日、12月3日は「カレンダーの日」。記念日な毎日のサイトで書ききれなかった事を少しだけ。

この日は、今まで日本が使っていた太陰太陽暦から太陽歴(グレゴリオ暦)を導入した事から制定されたのですが、その導入の理由が(これが全てでは無いでしょうけど)ちょっと酷いんです。

そもそもは諸外国では太陽暦を使っていたため、太陰太陽暦(旧暦)を使用する日本とで外交面ではいろんな弊害が出ていたみたい。なるほど、それは想像ができますよね。こういった面が大きな理由と思われるんですが、実はあるようなんですよ。もう一つの裏の理由が。

給料なんて払いたく無いって、分かるけど酷いよね

太陰太陽暦は、月29日(もしくは30日)のため365日では無く、11日少ない354日なんだそう。となると、当然少しずつ季節が前倒しすることになります。なので、閏月として「13月」を数年に一回入れる事で季節の帳尻を合わせていました。
改暦のあったのは明治5年、その翌年の明治6年は閏月のある年だったのです。どうやらその頃明治政府の財政状態は思わしくなかったらしく、世界標準となるグレゴリオ暦導入を決めるにあたり「いいこと思いついた!」って当時のエライ人が言ったとか言わなかったとか。
政府の役人の給料はもちろん月給制。通常は1年は12ヶ月なのですが、閏月のある年は13ヶ月分の給料が必要になってくるのですよ。

そんな理由で、旧暦の明治5年11月9日にグレゴリオ暦に改暦する事を発表、次の12月3日を「明治6年1月1日」にすることにしました。それにより、

明治5年の12月の給料 
2日しか無かったので給料の支払いをせず

明治6年の給料 
本来は13ヶ月分を「12ヶ月分」にできる

として、財政を節約したんですって。なるほどと言うか、なんてセコイし酷い。これ、暴動おきますよ、下手すれば。しかも、発表が遅かったもんだから、一般にはカレンダー(当時は暦ですよね)も発売されていたようで、それが全部使えなくなるわで、結構な混乱があったそうですよ。そりゃそうだ。
まぁ、結果的には国際化の波に乗ることができて、オーライだったんでしょうけど、そんな理由が裏にあると思うと、腹も立ちますよね。

と言うことで、

12月3日は「カレンダーの日」

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